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「葵マチアージュ」開催! 名古屋市葵地区に受け継がれた歴史と文化とは?
9/29(日)に、葵のまちを拠点とするメニコン、メルパルク名古屋、矢作建設工業の3社がコラボレートし、「葵マチアージュ」を開催します。
https://aoi-machiage.jp
このイベントは、これから始まる葵地区のまちづくりの出発点。
この地で暮らす人、働く人がひとつになり、学び、遊び、食の体験を通して、安全でにぎわいのあるまちを創造していきます。
葵のまちとは、どんな魅力を秘めているのでしょうか?
実は、みるオンカフェ周辺には、中区葵、東区葵など区を超えて「葵」のまちが存在します。
かつて存在した葵町。区の再編を重ねて現在の姿に分割されましたが、今も、江戸時代から続く文化の名残が感じられる場所です。
そこで、今回は名古屋市葵地区にまつわるストーリーをご紹介します!
【名古屋文化の礎を築いた徳川宗春】
江戸時代に尾張藩七代藩主を務めた、徳川宗春という人物をご存知でしょうか?
彼は葵地区に屋敷を構えていたことで知られています。
宗春の特徴は、和歌や漢詩、水墨画、茶の湯といった学問や文化への造詣が深いこと。さらに、華美な装いを好み、歌舞伎をはじめとする遊興を好んだといわれています。
こちらは、名古屋市中区錦の郵便ポストに飾られた宗春像。
宗春が藩主を務めたのは、ちょうど江戸幕府第八代将軍徳川吉宗公が享保の改革を行った時代です。
質素倹約が叫ばれるなかで、宗春は積極的に芸事をまちに取り入れます。
それまでの名古屋城下は遊興施設、外食産業が少なく、藩士は芝居見物をすることも禁止されていました。
宗春は、1731(享保16)年に第七代尾張藩主になると、縮小されていた東照宮祭などを元の規模に戻し、歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋を増設。藩士の見物も許可するなど、彼の手腕によって、名古屋の文化は一挙に花開いたのです。
そんな宗春の屋敷があった葵地区は、徳川家の家紋である「三つ葉葵」が地名の由来。
まちの名前に、宗春の存在が今も強く残っています。
このように、文化・芸術に親しんだ宗春が暮らした葵のまち。そのエリアの一角に、みるオンカフェが入っている「メニコン シアターAoi」が建っています。
この場所で演劇やミュージカル、コンサートなどを開催していることに、大きなご縁を感じずにはいられません。
そんな葵エリアには、小学校、中学校、高校、専門学校、短大まで学校が充実しているという特徴も。芸術を楽しむ風土がある葵地区で、多くの子どもたちが育っているのです。
この基盤を大切にしながら、「葵マチアージュ」をきっかけに、
1.公共空間を活用したまちの賑わいづくり
2.子どもたちのチャレンジを推進
3.暮らす人、働く人がつながるコミュニティづくり
上記のような、地域が一丸となるまちづくりがスタートします!
みるオンカフェも、このエリアの一員として活動をサポート。
カフェでは、視覚だけではなく、味覚、嗅覚、聴覚、触覚を通して、五感を満たす体験をお届けしています♪
【参考文献】
■規制緩和に挑んだ「名君」 徳川宗春の生涯 大石 学編/小学館
■徳川宗春 <江戸>を超えた先見力 北川 宥智著/風媒社
■尾張名古屋の人と文化 金城学院大学エクステンション・プログラム編/中日新聞社
■芸処名古屋 名古屋市編/創英社、三省堂書店
■ひがし見聞録 東区制100周年記念事業実行委員会編/東区制100周年記念事業実行委員会発行